えんとつ町のプペル、映画館の音のせいにしていた西野の理由を解説

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何かと話題の「えんとつ町のプペル」ですが、遅まきながら見に行ってきました。SNSに流れてくるような宗教映画なのか?出来がクソなのか…?色々な感想が飛び交っていますが、結論を言うと良い映画でした。

NSNに流れてくる情報を頭の中に入れて見るとどうしてもニュートラルにみられないので、なるべく会話についても西野氏の顔を思い浮かべないように聞いていました。(思い浮かべて聞いていたら、なーにが○○だコラと、絶対穿った味方になってたと思いました。映画を純粋に楽しめませんでしたね。)そういう意味では、自分の体を俯瞰で見て映画を見るというちょっと不思議な映画の視聴方法だったと思います。(だってあまりにものSNSの情報が入ってきちゃってたんだもの…)

きれいな映像、素晴らしい動画、声もキャラクターバッチリ

さすが映画化にしただけあって、すべての作りがしっかりしています。私は音楽や声等の制作・編集しかできませんので、このような映画を制作できるだけで「すっげぇなぁ…」という感想です。映像、音楽、脚本などの最高の組み合わせで映画が出来上がります。

ストーリーも最終的には素晴らしい宝物を見つけるお話。家族愛もちょいとあって…と大雑把に言えばスタンダードなお涙頂戴映画です。わかりやすいストーリーは感情移入しやすいですね。

個人的にはルビッチの親方のダンさんを初め、えんとつ掃除のおじさんたちの結束力というか仲間意識がいい感じでした。暴れん坊将軍でいう「め組」的なポジションでしょうか(笑)

音楽も最終への盛り上がりがよく表現されていました。やっぱ音楽で心情を盛り上げるってのが映画の醍醐味だなと思います。

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映画館によって音が違うので作品の雰囲気が違ってくる…という西野氏の主張について

タイトルのように、西野氏は音響が異なる映画館によって作品の質が異なってくる、と主張しています。この主張に対して私は最初「なーにを単純に映画館のせいにしてんだよ。最初から想定して音を作れよ…」と思い、上役にありがちな「何もわかっていない上司はとりあえず何かしらに文句をつける」程度のものと思っていました。

しかし、見てきて「もしかすると、西野氏はこのことを言っているのかもしれない…」と思いました。

やや音楽に頼りがちなシーンが多い

ネタバレを伏せますが、全編通して音楽による心情表現が強いんですよね。それは素晴らしいBGMだという証明なのですが、シーンによっては激しい効果音とセリフが合わさって忙しく感じる部分もありました。

以外に中心から聞こえてくる?

それこそ西野氏の言うように映画館を変えて比較するべきだと思いますし、映画館の音響システムをしっかりと把握する必要があると思いますが、えんとつ町のプペルの音響効果の幅が狭いと感じました。映画館の音響って、自分の右側や左側、後ろあたりから聞こえるようにスピーカーが配置されているんですが、その音響システムを十分に使えていなかった可能性があるような気がしました。(このあたりについては映画館の音響システムに詳しい人に分析してほしいなと思います。)

何を持って音響が悪いと言うか?

結局聞く人によって音が悪いというのは変わってくると思います。西野氏はたしか「迫力が足りない」という結論だったかと思います。映画館の箱によっては、ボリュームを落としている部分もあるし、爆音で聞こえる映画館もあるでしょう。西野氏が迫力=爆音と考えているなら、単純に映画館の低音が大きく音のボリュームも大きい映画館が良い映画館となるでしょう。

私の場合、中心から聞こえてくる音が多いので音の情報が多く「今、私はどこを聞けばよいのか」がバラバラになる状態を音が悪いと判断しました。映像の目まぐるしさ+BGM+効果音+セリフ…と文章で書くとわかりやすいように、結構情報が多いんですよね。

例えばBGMにおいてもメロディーラインを消してリズムだけの緊迫感にすればそれだけで効果音やセリフへのスペースが空きます。そういった作りは制作の方向性で決まってくるので、必ずしも○○でなければならない…という答えも無いかと思います。

ボリュームや映画館の箱鳴りで迫力が無いという西野氏の主張は、映画館によって異なってくる性質のものなので致し方ない部分はあるでしょう。映像に対しての音の情報量操作でなんとか対応できたかもしれません。

余計な事言わなければ、結構見てくれたのではないか?という映画

いい意味、悪い意味でも話題になったえんとつ町のプペルですが、やはりSNS上で流れる不穏な情報がこの映画を遠ざけますよね、残念ながら。

例えば電車賃が無いからということでクラファンで集めたものの騙したという有名な話もありますし、プペル関連では退職金をぶっこんでチケットを購入したという話もあります。最近では西野氏の友人による映画のプッシュ行為も目立ちます。これらの行動は人々を不穏な空気にさせます。私も結局「そんな不穏な空気にさせるやつが作った映画なんて…」と今でも思います。(特に電車賃のやつはひどいなと個人的に思います。)

ただ、見方を変えると、電車賃のやつも高校生的なノリなのかもしれません(電車賃として支援した人は、そのノリも内包して自らの意思で送っていると思うし)退職金ぶっこんだ人も結局は自分の意志でぶっこんでます。友人の映画プッシュにしても、私だって友人が制作した音楽などはプッシュしたいとおもうので、お友達同士の当たり前の行動って言えば筋が通ります。

映画にした以上、沢山の方に見てもらいたいはずなので、こういう「不穏な空気によって見たくない」と思っちゃう人たちを作ってしまうのは非常にもったいないような気がします。私も最初は「見に行くものか」と思っていましたが、あまりにも負の話題が多すぎて逆に見に行きたくなったと思ったぐらいです。しかし私のような天の邪鬼な理由で見に行く人もまた少ないと思うので、単純に「CMでやっているから見に行くか…」と思えるようになればよかったのになと思います。

「CMでやっててツラは良い格好してるけど、SNS上での感想はひどい。よって見に行かない」という方って結構いるんじゃないかと思っています。なので、映画になるまでの西野氏の行動に関しては、彼の運営するサロン内を中心としたノリで済まされたかもしれませんが、映画のような大衆的な作品になったとき、そのノリが大衆まで好影響になるかを予想できなかったのではないかと思います。(そもそも、西野氏自体、そこもどうでも良いと思っている可能性もあります。)

あと、個人的に、西野氏の友人が映画プッシュするのはいいけど、今後完成の合わない映画や作品が出た時、それでもプッシュできるのかどうかが見ものです。友人でも完成が違えば「これはちょっと」といえる間柄じゃないと本当の意味で友人となりませんし、最近SNSを利用する方々は本当に察しがいいので、「これは忖度している」とすぐに見抜きます。

なんとなく、有名人と一般人の権威性の差や垣根は崩壊してきているのでは無いかと思います。

まぁ、ぶっちゃけどうでもいい

雰囲気で見たくない人もいれば、こちゃこちゃ理由をつけて見る人もいるので、基本的にはどんな見方してもOKかと思っています。映画とか音楽とか…娯楽ってのはそういうものだと思うので。

なので批判的な感想も、西野氏の発言による背景を考慮した映画批判もこれまた自由なものだなと思いました。

一点のみあとがきです。作品は「夢を追いかければいつかは叶う!」的な勇気が湧いてくるような内容でしたが、電車賃をだまし取ったり退職金をぶっこめるようなサービスの販売をしたりといわゆる拝金主義とも取られるような行動が増えていけば行くほど、映画とのギャップが広がり、最終的にはやはり「宗教的」と言われるのではないかと思います。宗教的なものはあまり公で見たくないものです。今、SNSで批判が行われている原因として、芯が通っていないという部分が大きいのでは無いかと思います。

 

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