急性肝炎ということで入院した体験記です。今回は三回目となりますので、前回の記事から続けてお読みください。
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家族や仕事の人間関係について
まず、結論から言いますと治療に専念すべく頑張らない、ということです。特に一家を支える大黒柱(例えば収入の要になっている方など)であればあるほど、自分の責任感が重くのしかかってきます。
私の場合ですと、2世帯住宅で生活していたため親と妻と子どもたちとしばらく会えなくなる寂しさがありました。そして会社を長く休まなければならないという責任感。あとはオンライン上で知り合った友人たちとの交流が継続できなくなったなど…。急に訪れる入院は今までの生活をままならなくします。
入院費のことを考えなければならない、仕事のこと、オンラインでの作業のこと、メルカリのようなオンラインマーケットの出品を止めなければ…と大から小までと、やらなければならないこと、気にかけなければならないことが多くのしかかってきます。
しかし、このやらなければならないこと、気にかけなければならないことは全部捨てちゃいましょう。じゃないと治療への専念なんてとてもできっこありません。
私は自分にのしかかるこれらのことを、なんとか解決しようと努力しました。しかし頑張れば頑張るほど、最後には家族に会えないという寂しさに行き着きます。仕事をリモートでできる範囲で頑張ってみようと画策したり、オンライン上の友人との交流を続けようと思ったりしましたが、どれも頑張らなければ、いつも通りの自分を演出しなければならないという気苦労が生まれてきます。
入院から2週間ぐらいは、なんとか机上に振る舞おうと努力しました(体が悪いという実感がないからなおさらです)しかし原因が特定できない肝炎、そして血液検査の数値が悪くなっていく現状をみて精神的な糸が切れました。お母さんに「どうしていいかわからない。早く退院したい。つらい」と
早く良くなって妻や子どもたちに再開するのが、自分の仕事
そんな弱気なメッセージをお母さんに伝えると「あなたがしっかりしなくてどうするの?今は治ることを信じて、医者を信じて頑張っていくしかないじゃない。」というメッセージを頂きました。
このメッセージを受けて、私は家族の大切さを改めて実感しました。治すことが一番大事…。そうだ。家族に会いたいのは、自分が治りたいから。まだ生きていたいから。原因不明の肝炎という現状は受け止めるしかなく、その上で治すために医者のことを信じて、家族に弱気にならなず、甘えるところは甘える…。治療優先で考えて、家族に再開できればいいんだ。と思うようになりました。(家族との再開というのは、自宅でいつもどおりの生活をする…という意味になります)
その日から、まず気兼ねしていた自分の仕事について会社のメンバーに電話することにしました。
長いこと休むことになりそうだと伝える
原因不明の肝炎です。仮に退院しても、しばらく治療が長引くことを予想した私は、思いっきり休みの期間を多めに取ることを決めました。会社とメンバーに迷惑をかけるかもしれない…という考えはもう置いておくことにしたのです。これもすべて治療に専念し、再び家族との日々を取り戻すためです。当然ながら、仕事はたくさんありますが家族は一つしかありません。
私はその旨を上司に連絡しました。幸いメンバーとは飲みに行ったり遊びに行ったりと友好的な関係を築けていましたし、中断していた仕事も終盤を迎えていたこともあって、チーム全体でカバーするから安心して治療に専念してください!というありがたいお言葉を頂きました。
このときもまた、人間関係の大切を実感しました。家族にしろ会社にしろ、間柄が悪い関係であれば受けてくれるものの渋々な感じになってしまうことでしょう。いずれ復帰したときも何やら気持ち悪い雰囲気になってしまうかもしれません。
普段からの人間関係がこのような緊急事態になってもカバーし会える…と考えると、常日頃からの自分の言動を見つめていかなければならないな、私の場合は幸いだったなと思ったのです。
母親という最高の存在
今回の肝炎では強い食事制限はありませんでした。(前回入院のきっかけとなった急性膵炎では、圧倒的に食事が制限されていました。)
病院食というと「味気ない」「美味しくない」というイメージがありますがそれも当然のことで、塩分や脂質などが極端に摂取できないように栄養士の監修が入って作られているため、普段食べている料理と比べれば「味気ない」という意見になってしまうのは仕方ありません。毎日笑顔で「はい、どうぞ!」と微笑みかけてくれる栄養士が毎日の楽しみでもありました。
しかしそれではやはり家庭の料理を味わいたいくなるのは抑えられません。私のお母さんは、特別な用事がない限り毎日朝、会いに来てくれました。(コロナ禍の中、病棟への面会は限られた時間と間隔でした無理でしたが、ロビーや喫茶店などで合うこと自体はOKだった)
そこで用意してくれるお母さんのお弁当。卵焼きとおにぎりとか、遠足のお弁当のような食事でしたが、私にとってその1日を最高に過ごすことができる最高の差し入れでした。朝を楽しみに迎えられるのも、お母さんの手作り弁当があったからのだと思います。
このとき私は35才。もう親離れしていると思っていましたが、このときは私が小学生のときのようにお母さんが恋しくなりました。子どものときから変わらないお母さんの料理の味。この味のおかげで、退院まで頑張ってみよう、隊員まで頑張れるに違いない、そして無事に治ることも。と勇気づけられました。
先程書いたように、常日頃からの接し方でこういう緊急事態に陥ったときの精神的な支えとなってくれる方がいるかいないかは大きいと思います。健康なときには当たり前だと思う家族の存在ですが、精神的にまいったときに助けてくれる本当の人間はやはり家族だと、そしてお母さんなのだと思いました。
家族全員に感謝を
私の場合、更に幸せだったのがお母さんだけでなくお父さん、妻と娘たち、弟とたくさんの多くの人が会いに来てくれたことです。お父さんはまだ現役で仕事をしていたため、毎日のように会いにはこれませんでしたが、それでも時間さえあればお母さんと一緒に会いに来てくれました。お母さんとは違う語り口で健康になりますようにと言葉をかけてもらいました。
そして週の土日には妻や娘、息子が会いに来てくれました。妻の料理も私の生活の一部だったのでお弁当を持ってきてもらい最高でした。子どもたちは院内にあるコンビニでパフェを食べたり肉まんを食べたり、保育園、学校であったことや運動会の話など、たくさんの話をしてくれました。
弟とはAPEX LEGENDというゲームの話。PS4とPCがクロスプレイできるようになったから今度やろうな!など盛り上がりました。
私が肝炎で不健康になり、不甲斐ないと感じていたのは、私が勝手に一人だと思っていたからだったのです。私には、愛すべき家族や会社の友人、オンライン上での友人など…たくさんの方に愛されているのだと思いました。
あなたが絶望に落ち込んだとき、家族に頼れるように
私にとって、入院時の支えとなったのは家族です。毎日のように会いに来てくれたお母さんや楽しい話をしてくれる妻、子どもたちの支えは入院当時の落ち込んだ私の気持ちを前向きに考えさせてくれました。
もしあなたが今肝炎の入院で苦しんでいるのであれば、また別の病気でも苦しんでいるのであれば、年など関係なく家族を頼ってみてはいかがでしょうか?とくにお母さんの愛情は半端ありません。
私と妻の子どもがかわいいように、お母さんにとってはいくつになっても私たち子どものことは大切なのでしょう。あなたが親になったからといって、お母さんとの関係は親子のままです。
治療に専念するためには、今の気持ちをすべて吐き出しましょう。泣いたっていい。(人のいないところのほうが、気持ちよく泣けます)自分の不幸を呪ってください。どうして私だけが…。欲望をぶつけてください。早く治りたい。早く美味しいものを食べたい。それら全ては家族の愛があれば乗り越えられます。そしてその家族の愛こそが、治療に専念できる精神的な支えとなってくれる…と私は思いました。
次回は判明?した肝炎の原因と治療方法について書いていこうかと思います。やや医療的な内容となりますが、私が体験した治療法をなるべくわかりやすいように書いていく予定です。(私はあくまでも医療従事者ではないので、治療内容についてはあくまで私の体験談として参考になればと思います。)
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