急性肝炎ということで入院した体験記です。前回が第一回目ですので、先にそちらからお読みください。
さて、あまり自覚がない中入院をしたわけですが、医者の診断では「かなり危険な状態」との事。物を言わぬ臓器とはよく言ったもので、危険な状態だとしてもそれでも肝臓は体のために頑張ってくれているということでしょうか。
実際、肝臓が悲鳴を上げるタイミングというのはすでに命の危険があるときらしく、私の場合もそれでした。
少し医学的な数値を記載すると、肝臓に関する値として基準とされる下記3つの要素の値が異常値を遥かに超えていました。
- GOT(AST)
- GPT(ALT)
- ビリルビン
これらの数値が異常値を超えており、GOTとGPTがおよそ35IU/l以下が目安なところ私の場合は1000だの600だのと、改めて確認するまでもない異常値を叩き出しておりました。ちなみに500IU/l以上で急性肝炎や心筋梗塞などの症状が出てくるみたいで、そんな数値を叩き出しても体への影響が少ない…と考えると逆に恐怖を覚えたぐらいです。
ビリルビンの数値は上限0.2〜1.2mg/dlあたりが正常値でしたが、私の場合は入院時点で4.0。入院中に徐々に高くなり、最高12.0ぐらいまで上がっていきました。このビリルビンの数値が高いと体に黄疸(白目の部分が黄色くなる、肌が黄色くなる)が出たり、おしっこが紅茶ぐらいの茶色になったり、うんちの色が白色(本当に白くなる)になったりします。
このことから、多少汚くともうんちの色は気になったときに判断するのが有効だと思いました。
というわけで、自覚は普段どおりでも間違いなく体は悲鳴を上げていた(というか、命に影響のある可能性まであった)のです。
最も怖い肝炎の最終形…肝臓がん
お酒の飲みすぎで肝臓が悪化し肝硬変に…という肝臓の話は、体育・健康の授業でちらっと聞き覚えがありました。(今思えば、若い時にお酒の飲みすぎとか言われてもピンと来ませんよね…)
そしてその肝硬変のあとに訪れるのが肝臓がん。そう、がんなのです。がんと聞けばイコール死のイメージ。急性肝炎から肝硬変→肝臓がんになってしまう可能性は決して低くなく、あらゆるルートを経て肝臓がんになってしまうのです。
先程も書きました通り、肝臓はものを言わぬ臓器…。症状に気がついたときには手遅れの可能性もあるのです…。まさか肝臓がこんなに恐ろしい臓器だと思い知るのに、症状が出たときに気がつくとは…という気持ちです。
さて入院当日、色々な診断を行いましたがやはり確定的な原因はつかめず、とりあえず点滴をうって安静し肝臓の数値が下がっていく過程を見ていくことになりましたが、そもそも数値的に危険な状況だったということでありうる今後の展開を医者から聞きました。
それは肝臓がんになる以前の問題で、肝臓の劇症化の可能性です。肝臓の劇症化が起こると即座に命の危険があるということです。合わせて先程書いた肝臓がんへの症状悪化の可能性、そして肝臓の移植…。一気に…本当に一気にいろいろな悪いことが話されました。
肝臓の移植は家族から
このまま肝臓の症状が悪くなっていくようだと肝臓の移植が必要になってくるということで、移植には2パターンあると説明されました。1つはドナー登録して脳死された方の臓器を移植する方法。もう1つは、近親者(家族)から肝臓を移植する方法。そして早急な対応が必要となれば、ドナーを待っていられないので家族の臓器を貰う必要になってくるという説明も受けました。
丁寧に説明はされるものの、家族からの臓器提供の話に発展するなんて…そんな気持ちです。誰から?弟?妻?私の肝臓との相性の問題もあるし、年齢が高い人より若い人の方がいい。そうすると父母の肝臓をもらうより年の近い弟…?でも提供する方も完全に安全とは言えない…、仕事も休んでもらわなければならないし…、妻は?妻の家族にはどうやって説明するのか?そもそも本人の気持ちは?妻や子供のために生きたい…。どうして自分だけ…。
そんな気持ちが頭を駆け巡りました。
先生や看護婦の前、他の入院者の前では体裁を保たなければならない…なぜかそんな見栄がありましたが…屋上の展望台で一人になったとき、自分の運命を呪い、大泣きしました。
今起きている現状を受け止めるしかない
医者や看護師は、私を治してくれるために働いてくれています。何も絶望を植え付けるために説明しているのではありません。治療への具体的な原因がわからない事は事実なのです。すべてのあらゆる事をしっかりと説明してくれたので、医者に感謝しなければなりません。
私自身も、私の運命に悲観しっぱなしではいけません。意思が治療に影響するとは思えませんが、力強い意思で生きていかなければ治療の気力が失われていくのです。
悲しみと力強い意思を繰り返しました。屋上では泣き、家族への連絡では回復への希望を共有し、1日でも早く良くなるように励まし合いました。
自分自身の事、家族の事、仕事の事…30代ではいろいろな事が周りで起きています。私1人が入院することで色々な人々に少なからず影響を与えます。治療を専念するため、それらを1つずつクリアしていかなければなりません。
体を悪くしたら、真っ先にやることは治療に専念する。これが大病で2回目に入院したときに学んだ事です。
次回はありがたい人間関係について書いていきたいと思います。普段の人付き合いがとても大切な事だと思い知らされました。実は、入院したときに一番大切な人とのつながりなのかもしれません。
ではまた。
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