急性膵炎という重病で入院を行うことになりました。
医者からは短くても1ヶ月ぐらいは入院が必要だ。と宣告されました。
この痛みが1ヶ月も…。しかも仕事を休まなければならないし、今は冬休みで連絡もできない…。年の瀬に入院する事がどれだけタイミングの悪いことが、と思いました。
しかし、そんな考えは些細だったと思うほど、急性膵炎の入院生活は辛く厳しいものだったのです…。
Contents
入院して間もなくの事
入院して間もなくは、余り記憶がありません。ずーっと寝ていた気もしますし、見舞いに来てくれた両親や妻と、病気の事について話していたような気もします。
当然というか、重病で入院をしたことが初めてだったので、実感がわかなかったのが正直な感想でした。
しかし、半日も経てば事の重大さは体が示してくれました。
絶食絶飲しないと治らない
まず、急性膵炎を治療するには大前提の行為です。これは例外ないみたいです。
すい臓の機能が原因な為、炎症を起こした膵炎を休ませる為すい臓の働きをやめないといけません。これは水を飲む事も含まれます。特効薬はありません。治療にはどうしても時間がかかるのです。
栄養失調にならないの?空腹にならないのか?とお思いでしょうが、点滴で常に栄養を補給するため栄養失調になることもありません。そして不思議な事なのですが、全く空腹も感じられないのです。
点滴はトイレが近くなる
水分を取っていないのに、点滴のせいでトイレが近くなります。まるでお酒を飲んだかのように、頻繁に尿がでます
点滴は四六時中投与されるので、寝ているときも尿意で目が醒めます。
そう、まずこれで眠ることができないのです。
環境が変わりすぎて眠れない
ただでさえ、トイレで眠ることができないのに、慣れない環境で更に眠ることができません。いつ退院できるのだろう、早く治さなきゃ…という焦りが余計に眠りから遠ざけます。
家族が来ているときは良いのですが、一人ぼっちになると、不安で仕方なくなります。
もしかしたらもう二度と治らないんじゃないかと不安にもなりました。
悩めば悩むほど深く考えてしまい、それを無理やり押し殺そうとしても現実に戻される。何かをしていれば気は紛れるのですが、急性膵炎はそれすらもさせてくれない重病だったのです。
お腹が痛くて何もできない
入院中はゆっくり本でも読めばいい…。入院する前はそんな一時の休息的な生活を想像しました。しかし、急性膵炎はさせてくれません。
最悪なのが、尿意とは別にお腹が痛くて起きてしまう、または眠れないことです。お腹の痛みを和らげる薬は中毒性のある薬の為、頻繁に投与することができないのです。
看護婦からは、「本当に我慢ができなくなった時にしか使えない」と言われましたが、本当に我慢できなくなる腹痛は普通に来ます。
この為、起きてる時でもお腹が痛く、何かをしようとする気力が出ません。中途半端に眠く、たたボーッとしかできません。そして、自分はいつ起きたのか、寝たのかがわからなくなり気持ちがぐちゃぐちゃになりました。
大晦日を病院で過ごす悔しさ
毎日家族はお見舞いに来てくれます。とても嬉しく、早く治したいという気持ちが強くなります。
平凡な日常がこれほど愛おしいものだったとは…。そんな気持ちになります。
でも、ずっと私に付き添うわけにはいきません。妻は家の事や子供の面倒を見ないといけないのですから。
大晦日はいつも、妻と12時まで起きていて、今年1年を振り返ったりなんでもない会話で年を越します。今年(入院中)はそんな当たり前の事もできず、一人で大晦日を過ごすのだ…と思うと、悔しくて仕方ありませんでした。
除夜の鐘どころか、なんの音も無く年は越えました。
大部屋は治るものも治らない
年が越え2017年。
いつもは「あけましておめでとうございます」や「おせち料理」を食べていた正月が今年はありません。淡々と医者が検診を行います。
私は複数人が入院する、いわゆる「大部屋」に移動が決まりました。個室では1日に付きお金がかかります。
ここで私はもし、次回入院する事が合ったとしても、必ず個室を選択します。それは、自分を含めてお互いに気を使ってしまうため、私個人では落ち着いて治療に専念ができなかったからです。
始めに断っておきますが、これは仕方のないことだと思います。他人は自分の習慣と異って当然です。病院の消灯時間は決まっていますが、就寝する時間は人によって異なります。そういう中で「もしかして相手に迷惑をかけているんじゃないか…?」とか、「となりの人、いつまでもTVを見ててうるさいなぁ」とかはお互い様で仕方がないと思います。
そういった事に敏感な方は、できるだけ早く個室に移動したほうが良いと思います。別の要因でストレスが貯まり、治療に専念ができなくなると思います。
眠れない深夜徘徊
まず、私が圧倒的に迷惑をかけていた事。
上にも書いたとおり、点滴によりトイレに行く回数が非常に多いのです。それは24時間関係が無く、ひどいと一時間置きにトイレに行きます。
病室からトイレは近いのですが、ベッドから起きるのでどう頑張っても音が出てしまいます。点滴で体の動きが制限されているのでなおさらです。
また、あまりにも眠れないので、病室から外に出て病棟を一周してベッドに入る…という事を頻繁に繰り返していました。本当に人からすれば大迷惑の何者でもないのですが、本当にそうしていないと自分が生きている感じがしなかったのです。
寝られない、水は飲めない、お腹が痛い…。私にできる事は、歩くことだけだったのです。だから、歩いて…、早く治るために今日一日を消化しようと、歩いたのです。
お正月のTV番組
とは言え、人間起きっぱなしはできないので、いつかは眠くなるときが来ます。たまたまお腹も痛く無く、ぐっすり眠れそうだと感じた夜の9時。隣りから声を殺した笑い声が聞こえました。
そう。お正月だから初笑い系の特番が放送されていたのです。相当ウケているようで、笑いが止まることはありません。当然大部屋なのでイヤホンで音を聴いているのですが、いかんせん笑い声が大きくて周りにだだ漏れでした。
特番なので、終わるのは多分最低でも11時。もしかすると12時かもしれません。寝るチャンスを失った私は、いつものよう、病棟の深夜徘徊に出かけるのでした…。
いびき
対面のおじいちゃんのいびきが眠れないほどうるさかったのです。しかしこれは仕方ありません。自分も当時は太っていたのでいびきがうるさいと言われていたし、自分でコントロールできないことなので、ここを攻めるのはお門違いです。
念を押しますが、これらは起こりうり誰のせいでも無いと思います。自分も何かしら迷惑をかけています。「気になる」と「気にさせている」事が我慢できない方は、再度申しますが、一刻も早い個室への移動をオススメします。
看護師さんに、「個室に行きたい」と言えば、個室さえ空いていればその日や翌日に入れますよ!
お正月、娘のお願いに涙
今まで何度も「早く治したい」「二度とこんな事は起きたくない」と思いましたが、決定的に決意したのは娘のお願いがきっかけでした。
毎日のように、お見舞いに来てくれた家族ですが、娘からこのように言われました。
「ねぇ、パパ、ばぁばの家にいっていい?」
私は泣きました。
「ばぁばの家」とは、妻の実家の事です。県内なので大型連休の際には必ず帰省していました。娘、息子とお義兄さんの子供達とは年も近くいつも仲良く遊んでいました。
単純に遊びに行きたい気持ちもあったのでしょうが、娘はこうも言いたかったのだと思います。「実家に泊まっている間、パパのお見舞いこれないけどいい?」私はいったい何をしているんだ…娘にこんな心配をさせるなんて、なんて不外がなかったのだと…。
私は、一層「早く治したい」「二度と起きたくない」と強く思いました。
絶対に飲めない水
水すら飲めない生活から一週間。点滴で栄養は取れているものの、喉が乾く事は抑える事はできません。また「水を飲む行為」を自ら禁止しなければならないという非日常を耐えなければなりません。
そして極めつけは「口を濡らしてもいい」という唯一許された行為。水を口に入れるのはOK。それを飲み込むことは許されない。そんなバカなことがあるでしょうか?
私は一度、本当に一度だけ水を一口飲み込んでしまいました。しかしそこで得られたのは「飲んでしまった」という後悔。あれだけ治すと誓ったではないか。
喉が潤ったという確かな幸せを後悔で無理やり押し殺し、またいつもの深夜徘徊へ向かうのでした。
同僚のサプライズ訪問、絶水の解禁
「明日から水は飲んで良いですよ」
この言葉を聞いたとき、私は幸せに包まれました。
たかが水を飲むだけの行為なのに、人間らしさを取り戻したと思いました。寝て起きて、お腹が痛くてトイレに行くだけ…という、「なんのために生きているかわからない」状態が一週間も続いたので、些細な出来事にもこれだけ大げさに感じることができたのです。
そして、その嬉しかった日、仕事始めの日に同僚がサプライズでお見舞いに来てくれたのです。
年齢は私より上ですが、とても気さくな同僚で同年代の友達のような感覚で一緒に仕事をしています。そんな彼が、「大丈夫ですか?」と心配して来てくれたのです。
私はまた涙をしました。あまり人前で泣く事はありませんでしたが、前述水が飲める事の喜びと相まって、色々感情が爆発しちゃったのでしょう。
本当に感謝です!
個室への移動を決意
水が飲める宣告とタイミングは偶然なのですが、ちょうど個室への移動も決まっていました。周りの環境音も気になってはいたのですが、私の場合「自分の深夜徘徊が超迷惑をかけている」ので、これ以上は迷惑をかけられないと思い個室への移動を希望しました。(正直、深夜徘徊をやめられる自信がなかった。)
当然、一日の入院費が増えるので、今度は金銭的な問題へ置き換わりますが、それでも治療以外の部分で気を使いたくありませんでした。今でも個室に移動した事は正解だったと思います。
料金は病院によって異なりますが、私の場合は一日+5,000円
しかも、治療に必要がない個室の場合は自己負担となり保険の適応外になるので、万が一入院することになった場合は、ご自分の保険を見直しましょう!
朝日が私の生きがいだった
入院してから十日間ぐらいは、本当に生きている気がしませんでした。家族のお見舞いがあったものの、ずっと一緒にいるわけではなく、帰ってしまう時はいつも寂しい気持ちになりました。
自分にとって、人との繋がりを断ち切られるのが、こんなにつらいことだとは思いませんでした。
私はいつしか、毎朝の朝日を見るのが生きがいになっていました。それは、朝日が昇るとみんなが動き出します。同じ朝日を見ることで、自分もみんなと一緒に動いている事が実感できたからです。
病気は、今まで当たり前だと思っていた事が失われます。そうならない為にも、日頃からの健康管理が大切だと思いました。
ねぇ!?趣味の話は?
なに、この「急性膵炎の闘病生活日誌」みたいなの?と思った方。「これ、趣味紹介のブログじゃないの?」と思った方
すいませんwww
本来ならそうなのですが、趣味を語る上で急性膵炎は外せない出来事なので、もう少しお付き合いください!(この退院後、ランニングやクロスバイク、PCゲームの趣味が増えるので…)
ということで、次回は個室編!お楽しみに!
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