まず、結論から申し上げますと、歌ってみたMIXの依頼や活動による利益をグッドネーバーズ・ジャパン(GNJP)に寄付することにしました。
寄付を行うことを公言するものではないかと思いましたが、活動に携わる方々に伝えておきたいことがありますので、それを書き綴っていきたいと思います。
Contents
なぜ寄付を行おうと思ったか?
もともと寄付を行うことを習慣にしていた
夢を見るぞうという本にこう書いてありました。

「世の中の人を喜ばせたいという気持ちを素直に大きくしていくことが大事やねん。そやから寄付すんねん。自分はとにかく人を喜ばせたいし、助けたい。そういう人間になることや」
夢をかなえるゾウ より引用
この本を読んだ頃から募金や寄付を行っていました。ちょうど二年ぐらい前からですね。
しかし、キャッスレス決済からお釣りを募金しにくくなった、コロナ情勢で募金活動を行わなくなったなど…ちょっと募金活動から心が離れていきましたが、募金や寄付を行うことは人々を喜ばせる、助けることに繋がると信じていたので最近また何かに寄付を行ってみるかと思っていました。
お腹いっぱい食べられない子どもたち
ふとYoutube広告にGNJPの動画が…。その内容はコロナ情勢で収入が減り、子どもたちが満足食べられない…という内容が…。
私の息子・娘はお腹いっぱいご飯が食べられます。お菓子だって常にストックがある状態。それが当たり前だと思っていました。でも、世の中には目一杯ご飯を食べられない子どもたちがいる…。冷静に考えればわかることです。日本にも貧困で満足に食べられない人々がいっぱいいる。でも、自分の環境が当たり前過ぎてそれに気がつけなかったのです。
自分でご飯を作ることで、食べることのありがたさを知る
コロナ情勢で気がつく…というのも不甲斐ない事実ですが、テレワークが始まって自分でご飯を作ることが増えました。恥ずかしながら今までの食事のほとんどが子供の頃は母親と父親、大人になっては妻に作ってもらうばかりでした。
自分で作ったご飯を子どもたちが「美味しい!おかわり!」と言ってくれることが嬉しく、そして今まで作ってもらったことに大きな感謝を感じました。
当たり前に食べられることが幸せであり、人間として得られるべき権利なのです。(SDGsが掲げる2番目の項目に飢餓をゼロに、がありますね。)
もし自分の息子・娘が満足に食べられない…と思ったら
美味しいものを食べているときの子どもたちは、とてもいい笑顔をしています。すくすく育ち、たくさん運動ができ元気よく学校に行きます。大げさに想像しますが、自分の息子・娘と同じ歳の子どもたちが、満足に食べられないということに悲しみを感じたのです。もし自分の子どもが満足に食べられなかったら…、親としてなんとかしてあげたいと思うでしょう。
これこそが、今回GNJPに寄付しようと思ったきっかけなのです。
なぜMIX依頼や活動の利益からなのか?
募金金額を月に1,000円に設定します。お金の価値は人それぞれですが、私にとっては少額だと思う金額です。したがって、わざわざMIX依頼や活動利益から…と銘打たなくても良い金額だと思っています。わざわざ公言するものでも無いかとも思います。
みんなの活動の一部が、子どもたちの笑顔になれば喜ばしいのではないかと思った
私がMIXの料金を設定したときの理念として、1日がハッピーになるぐらいの金額にしています。(フルコーラス5,000円)
決して安くは無いけど、5,000円で自分の歌が更に良くなる、ファンが喜んでくれるならOKじゃないか?休日に高めのランチを恋人と食べに行く、ちょっと高めのアクセサリーを買う、ゲームセンターで遊びまくる…そんなハッピーな1日と同じぐらいの価値に設定しています。
ありがたいことに、私に依頼してくださる方々は歌の上手さ以前にとても人間的に魅力的な方々が多いです。メッセージのみのやり取りですが、丁寧な言葉づかいや上手くなりたいという気持ち、喜びをストレートに伝えてくれるなど、気持ちの良い制作ができる方ばかりです。
だからこそ、私にMIX依頼をしてくださった方は歌うことで子どもたちの笑顔を与えている歌い手になってもらいたいのです。(歌い手さんだけでなく、作曲などのご依頼を頂いた方々にも同じことが言えます。あなたのハッピーが子どもたちの笑顔になれば、喜ばしいことでしょう。)
だから、この寄付は私の活動の利益から捻出するという形をとりたいのです。
一緒に寄付をしていると思ってください!
MIX依頼をしてくださる方に限らず、私とつながってくれて日々の生活を楽しくしてくださる方は、私の活動の活力です。その活力が利益を生み寄付を導いてくれました。だから、今回の寄付は私だけの寄付ではなく、皆さんの寄付と思っていただきたいのです。
あなたの活動が、子どもたちの笑顔になる。そう思うと、ちょっぴりだけ、ほんのちょっぴり誇らしい気持ちになるのです。
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